理事長 大塚重雄 物語

昭和43年8月9日、長崎の原爆記念日に神戸市垂水区美山台に一人の可愛い男の子が誕生しました。後の大塚矯正歯科理事長大塚重雄その人です。

当時の美山台はジェームス山自動車学校と電話局がある程度で、住宅もまばらで自然も残っていました。そのせいもあり、よく虫たちに遊んでもらいました。子供の頃はよく転び、膝が赤チンで常に赤く (脚が長かったせいか?)、風邪をよくひいていました。性格は引っ込みじあんの内弁慶でした。

写真右:4才 自宅庭にて

小学生時代

小学校に上がる頃には健康ですが内気な子供でした。小学2年生の2月に須磨浦小学校に転校し、その頃より野球に興味を持ち、高学年で はプロレスラーにも憧れました(好きなプロレスラーはドリーファンクJr)。なんせスポーツ好きで喧嘩もするような活発な子供になっていました(ヨッ、ガキ大将)。その反面、体育以外の成績は正直パッとしな いものでした。

写真左: 8才 すでに野球少年
写真中: 9才 温泉にて
写真右:10才 遠足にて

父親との思い出

父親は俗に言う実業家で、製造業や飲食店など多彩な仕事をしていました。そんなこともあり父の考え では「手に職を就けることで安定した仕事を・・・」と思っていたようです。一方、家庭は父の離婚、再 婚などもあり複雑でした。そんなことも影響したのか、長男の私には親バカもいいところで、何でも買っ てくれて、いつもニコニコしていて、怒られることもなく、私の中ではスーパーマンで最高の父親でした。 今もずーっと大好きです。

写真:3才 大好きな父と入園式

中学時代

中学は私立を受験しましたが失敗し、地元の垂水東中学に進学しま した。この中学、当時は結構なヤンキー校でした。入学してすぐに交 通事故にあい右足を骨折、灘区の病院に5ヶ月ほど入院することになっ てしまいました。病院食は、好き嫌いが多かった私にとって口に合い ませんでした。その為、父は一日も欠かすことなく昼ご飯を持ってき てくれました(夜もしばしば)。当たり前のように思っていましたが、 父の職場からは往復するだけでも1時間以上はかかったでしょう。今か ら思えばすごいことだと思います。その間、家庭教師の方にも病院に 来て頂き、幸い勉強の方は遅れることもなかったのですが、力を入れ たかった部活動(バスケットボール)は、出遅れてしまいました。プ ライベートは、当時の全日本プロレスや新日本プロレスをよく見に行 きました。勉強は数学、理科、英語は得意だったのですが、国語、社 会は嫌で典型的な理系タイプでした。

写真左:中学時代は男子は丸坊主だったのですが、事故で入院中に髪が伸び 散髪時に真ん中だけ残してみました。もちろんこの後、丸坊主にしました。
写真右:年の離れた弟と・・・今でも仲良しです。

高校時代

高校は、またまた希望校には入学できず、滝川高校に進学、親に申 し訳なく思いました。部活動はハンドボール部に入部しましたが、当 時の私はすぐにレギュラーになれたこともあり、かなりわがままなト ラブルメーカーで、結局1年程で辞めてしまいました。成績の方は相 変わらずパッとしなかったのですが、高校2年生の後半には、進路を 決めなくてはなりません。当時の家庭教師の先生に相談すると、「歯 科大生は女性にモテる。」ということで、男子校でモンモンとした生活 を送っていた私にとっては大変魅力的に感じました。そのことを父 にそのまま話すと、意外にもすんなり了解してくれ、私の学力では私 立の歯学部を受験することがやっとだったことも分かっていたようで、今から考えればただただ感謝です。その後は、真面目に勉強をするようになり、成績も上がり推薦で愛知学院大学歯学部に合格しました。

写真左:高校時代、我流のテニスです。
写真右:高校時代、パーマヘアー炸裂です。
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